東京女子医科大学の元理事長として知られる岩本絹子さん。その経歴や家系図について関心を持つ方も多いのではないでしょうか。
岩本さんは、産婦人科医としてのキャリアを積み、大学運営においても財政の立て直しなど数々の功績を残しました。しかし、その一方で、背任容疑や寄付金を巡る問題も報じられています。
医師としての実績から大学運営まで、彼女の歩みを掘り下げていきますので、ぜひ最後までご覧ください。
本記事を読んで分かること
- 岩本絹子の経歴や東京女子医科大学での役職
- 岩本絹子と吉岡彌生が祖の吉岡一族との関係性
- 東京女子医科大学での財政改善や経営手法の評価
- 背任容疑や寄付金問題を含む不正疑惑について
岩本絹子のwikiプロフィールと経歴

- 名前:岩本 絹子(いわもと きぬこ)
- 出身地:佐賀県唐津市
- 生年月日:不明(2024年現在77歳)
- 職業:医師、経営者
- 専門分野:産婦人科
- 現職:
葛西産婦人科 院長(1981年~)
東京女子医科大学 元理事長(2019年~2024年) - 学歴:
1973年:東京女子医科大学 卒業
1977年:東京女子医科大学 大学院修了(医学博士号取得) - 職歴:
1973年:東京女子医科大学 産婦人科入局1979年:葛西中央病院 産婦人科部長
1981年:葛西産婦人科 開設・院長就任
2014年:東京女子医科大学 副理事長
2019年:東京女子医科大学 理事長 - 家系:東京女子医科大学創設者・吉岡彌生の親戚(吉岡一族)
- 功績:
東京女子医科大学の財政を3年で黒字化(2019年~2022年)
医療分野での地域貢献と同窓会組織「至誠会」の代表理事を歴任
岩本絹子さんは、東京女子医科大学の理事長を務めた人物であり、医師としてのキャリアも長く、経営者としての一面も注目されています。
そんな岩本さんのプロフィールや経歴を掘り下げてみましょう。
- 東京女子医科大学での経歴と功績
- 医師としての実績とリーダーシップ
東京女子医科大学での経歴と功績
岩本絹子さんは、1973年に東京女子医科大学を卒業し、産婦人科医としてのキャリアをスタートさせました。

その後、産婦人科での診療を続けながら、大学での教育や経営にも携わるようになります。2014年には東京女子医科大学の副理事長に就任し、2019年に理事長の座に就きました。
理事長として注目されたのは、東京女子医科大学の財政改善です。
大学病院の経営が困難な中で、岩本さんは厳しい経費削減や人件費カットを行い、3年間で黒字化を達成しました。
これにより、大学の経営は安定しましたが、人件費抑制による不満や退職者増加という副作用も生じています。
また、岩本さんは「至誠会」という同窓会組織を通じて大学病院運営に大きな影響力を持つ存在でした。こうした功績とともに、その経営手法には賛否が分かれています。
医師としての実績とリーダーシップ
岩本絹子さんは、医師としての豊富な経験を活かし、地域医療にも貢献してきました。

1981年には東京都江戸川区で「葛西産婦人科」を開設し、院長として多くの患者を診療してきました。
特に、リスクの高い妊娠や難産に対応する技術と知識に定評があります。医師としての実績に加え、リーダーシップも高く評価されています。

東京産婦人科医会や江戸川区医師会など、数々の医療関連団体の役職を歴任しており、医療教育や地域医療の発展にも力を尽くしました。
こうした活動の積み重ねが、東京女子医科大学の理事長就任につながったと考えられます。
岩本絹子と吉岡一族の家系図
東京女子医科大学といえば、創設者である吉岡彌生さんが築いた「吉岡一族」の存在が欠かせません。そして、岩本絹子さんもこの吉岡一族に連なる人物として知られています。
吉岡彌生(東京女子医科大学創設者)
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└─夫:吉岡荒太
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├─吉岡博人(息子・衛生学者)
│ ├─妻:吉岡みち
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│ ├─吉岡博光(孫・名誉理事長)
│ │ ├─息子:吉岡博文
│ │ └─[詳細不明]
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│ └─吉岡俊正(曾孫・元理事長)
│ └─親戚:岩本絹子(現理事長)
│
└─[詳細不明]
この章では、吉岡一族の歴史や岩本さんとの関係を詳しく説明します。
- 吉岡彌生を祖とする吉岡一族の歴史
- 岩本絹子と吉岡一族の関係性
吉岡彌生を祖とする吉岡一族の歴史
東京女子医科大学の創設者、吉岡彌生さんは、1900年に「東京女医学校」を設立しました。

当時、女性が医師になるのは非常に困難でしたが、吉岡さんは女性の医学教育を普及させることを目指してこの学校を設立しました。
その後、学校は「東京女子医科大学」となり、現在も女性医療教育の中心的な存在として続いています。
吉岡彌生さんの功績を受け継いだ吉岡一族は、代々この大学の経営に携わってきました。理事長や学長など、大学の要職を担うことが多く、大学運営の中心的存在となっています。

岩本絹子と吉岡一族の関係性

家系図をたどると、岩本さんは吉岡彌生さんの親戚にあたり、医師の家系で育ったことが分かります。

また、岩本さんは吉岡俊正さん(吉岡彌生さんの孫で元理事長)の親戚にもあたり、一族で築いた東京女子医科大学の伝統を継承する立場にありました。
このように、岩本さんは大学創設者の精神を引き継ぎながらも、自身の手腕で大学運営に携わってきた人物といえるでしょう。
岩本絹子の背任容疑と東京女子医科大学の不正問題
東京女子医科大学の元理事長である岩本絹子さんは、大学の財務における背任容疑や不正疑惑により大きな注目を集めています。
これらの問題は、大学運営に対する信頼を揺るがすだけでなく、教育機関としての透明性にも深刻な影響を与えました。
ここでは、背任容疑の具体的な内容、不正給与や寄付金問題、そして大学側が設置した第三者委員会の調査結果について詳しく解説します。
- 背任容疑の概要と不正支出の詳細
- 職員への不正給与疑惑と推薦入試の寄付金問題
- 第三者委員会による調査報告書と批判
背任容疑の概要と不正支出の詳細
2025年1月、岩本絹子さんは東京女子医科大学の新校舎建設工事に絡み、約1億2000万円を不正に支出させたとして背任容疑で逮捕されました。

この不正は、業務を行っていない一級建築士へのコンサルティング名目で支出されたもので、警視庁は資金の一部が岩本さんに還流し、私的に流用された可能性が高いとみています。
この期間は、2018年7月から2020年2月にわたり、大学に重大な経済的損害を与えたとされています。

岩本さんはこの不正を実行するために、自身の影響力を駆使し、大学内の監視体制の弱さを利用したとみられています。
さらに、この事件は大学の信頼性に大きなダメージを与え、世間からの非難が高まっています。
職員への不正給与疑惑と
推薦入試の寄付金問題
岩本絹子さんの逮捕に至る背景には、職員への不正給与や推薦入試に関する寄付金問題がありました。

2020年から2022年にかけて、岩本さんの側近であった元職員が勤務実態がないにもかかわらず、大学の同窓会組織の「至誠会」から約2000万円の給与を不正に受け取っていた疑いが浮上しました。
また、推薦入試では「寄付金」による加点が問題視されました。一部の受験生が寄付金を支払うことで順位が逆転し、推薦枠を獲得したケースが第三者委員会の調査で明らかになっています。

このような運用は、文部科学省が定める「私立大学の寄付金に関する規制」に反する可能性が高く、大学の公平性を大きく損なうものでした。
第三者委員会による調査報告書と批判

報告書では、岩本さんの経営について問題があることが指摘されています。
さらに、第三者委員会は、岩本さんの大学運営における一強体制を指摘しています。
経営陣の意に沿わない職員や医師が懲戒処分を受けたり、不当な扱いを受けた疑義があるとし、大学内のガバナンスが著しく欠如していた点も指摘しました。

この報告書を受け、大学は岩本さんを全役職から解任しましたが、これにより大学運営の信頼回復には長い時間が必要だと考えられています。
この一連の不正問題は、大学の運営に対する根本的な疑問を投げかけるものであり、今後も注目を集めると予想されます。
まとめ:岩本絹子のwiki経歴&家系図を徹底解説
岩本絹子さんは、東京女子医科大学の元理事長として、長年にわたり医療界で活躍してきた人物です。
今回はその経歴や家系図を調査し、どのような功績や課題があったのかを調査しました。
本記事のポイント
- 東京女子医科大学卒業後、産婦人科医としてキャリアを開始
- 1977年に大学院を修了し、医学博士号を取得
- 1981年に東京都江戸川区で「葛西産婦人科」を開設し院長に就任
- 2014年に東京女子医科大学の副理事長に就任
- 2019年から2024年まで東京女子医科大学の理事長を務めた
- 理事長在任中に3年間で大学の財政を黒字化した
- 人件費削減など厳しい経営手法が賛否を呼んだ
- 吉岡一族の一員として、大学の伝統と運営を継承した
- 東京女子医科大学創設者・吉岡彌生の親戚である
- 母親も産婦人科医で、医師家系で育った
- 推薦入試での寄付金加点問題が第三者委員会に指摘された
- 職員への不正給与疑惑で警察の捜査対象となった
- 2025年1月、新校舎建設工事に絡む背任容疑で逮捕された
- 第三者委員会報告では「一強体制」やガバナンス欠如が指摘された
- 不正行為により大学運営の信頼が揺らいだ
